やがて哀しき外国語/村上春樹
外国暮らしで経験する差別だとかの嫌なこと、日本の官庁や大企業からの社費留学のエリートの鼻持ちならない態度など、ああ僕はやっぱり外国に住まなくて良かったと思う反面、住まなくて良かったのかな?と少し自問するキッカケになった。
村上春樹も書いているけれど、40を半ばも過ぎると人生の残り時間を考えて、何から何まで全部頑張るというのは難しい。
取捨選択ができてない40半ば過ぎは、哀れだと思う。
そういう意味では、過去、特に住みたいと思う国もなかったし、私は永遠に旅人というポジションが合っていると再確認する。
村上春樹のアメリカプリンストン大学での日本の小説の解釈についての講義(日本語と外国語が翻訳を経てどう変わるのか)など、へーそういうものかという内容もあった。
しかし、同じ時期に手にとった「若い読者のための短編小説案内/村上春樹」は、微細な表現の違いにフォーカスしすぎていて読むのをやめた。
そういえば、実際の人生で強烈な体験をしている人は、その強烈な体験を文章化していく過程で虚しさを感じてしまい小説を書くのは難しいということが書かれていた。
確かにその通りだ。
でも、まあ、何か記録しておきたいだし、細々と僕も小説みたいな自分の強烈な体験を記していこうと思う。