愛するということ/エーリッヒ・フロム
「他者を愛することは与える」ことだとは自覚し常々そのように生きているつもりではある。しかしながら、時々、世界中で最も大切で愛すべき対象である家族に対してでさえ、イラっとしてしまうことがある。仕事上の社員や顧客、あるいは時には友達にさえそういう場面がある。見ず知らずの赤の他人に社会の中の集団行動で不愉快な思いをさせられたりした時など言わずもがなである。
赤の他人に失礼なことされた時まで寛容でありたいとは思わないけど、まあ、継続的に付き合っていく人たちとは仲良く心穏やかにお付き合いしたく、その際には、やはり「愛」が必要であろう。
というわけでこの本を手に取った。
しばしばキリスト教的価値観・神と絡めて語られるので、そのあたりには全く共感しなかった。加えて、最終的に著者は「資本主義社会での経済活動と愛の追求は両立できない」と言っており、世捨て人的というか、修験道者のような価値観の人で空虚な話だった。
冒頭の章にて「愛は落ちるものでなく技術だ。知力と修練が必要だ。」と言っていて期待したのだが、次章「愛の理論」で親子愛、異性愛、兄弟愛、自己愛などを体系立てて説明し(このあたりからキリスト教臭がヒドイ)、続いての章で「現代社会には偽りの愛しかなく、愛が崩壊した」と続くので目も当てられない。
どう考えても現代社会でも愛はあるだろう。
資本主義社会を忌み嫌う人の話って偏りすぎていて辛い。読まなくてよい本だった。